テレビの光は全てアニメ

SF好きでミステリ好きですけど、そんなことは関係なしにアニメの感想を書いていくような感じのブログ

ヤンキー議論について僕が憤っている二、三の事柄

 ご無沙汰しております、女子高生です。

 一ヶ月も更新を途絶させておりましたが、僕はその間も非常に元気に自室の中に引きこもり、アニメやら映画やら見ながら無駄に生活を送っていたわけで、そんな生活をしていればブログの記事にするものもあんまりなくなってしまうというわけで、こういう感じになってしまったわけです。

 で、当然今この記事を書いているというのはまあそれなりにブログでこのことについて書きたいなという感情が湧いて出てきたものであります。で、その感情の源泉は何かというと「ヤンキー」というものなのであります。

 僕は普段Twitterライフをそれなりに楽しんでいるので、フォロワーが今このことについて何をつぶやいているのかというのは気になるわけで、たまに特定のワードを検索ボックスに入力して検索していたりとかするんですけど、何やらフォロワーの内の二人がヤンキーについて議論を交わしていたようで(いたって友好的な雰囲気ではありましたが)、はーそうなんだーと思いながら眺めていたわけであります。

 まあTLにはそこそこひねくれた人が多いわけで、となると通常の感覚から逸脱した「ヤンキー」擁護が迸っておるわけですけど、え、ちょっと待ってくれない? と、それって少しおかしくない? とか思ったわけであります。

 そもそもヤンキーの定義とは一体何なのでしょう? もちろん我々は一般的にヤンキーという単語を聞いた際には深夜にコンビニの前でたむろしている偏差値の低そうな集団を思い浮かべるわけですけど、これって明確な定義って何かあります? 僕は寡聞にして知らないわけですけど、みなさん単にイメージだけでヤンキーを語ってない? とか思っちゃうのは、まあ皆さんに比べて僕の知能が劣っているからかもしれませんけど。

 まあTL上では学校のお勉強が出来ない文字通り偏差値が低く、更にコンビニ前でたむろしているという前時代的イメージがそのまま共通認識となっていたらしいですけど。納得出来ないのは、なんでお勉強が出来ずにコンビニ前でたむろするような連中が、そこそこお勉強も出来てあんまりヤンキー要素に比べて性格がいいみたいな論調なの? ってところであります。

 いやいやいや待ってくれよと、紛いなりにも勉強が中上位の人間で社会の規範を犯さないような奴らのが、相対的に見て性格がいいのは当たり前じゃん、それあなたの理想にしか過ぎないし、経験則にしか過ぎないよね? って、僕、思っちゃうんですよ。社会規範を破って深夜にコンビニの前でたむろしてソレ以外にも人様に迷惑をかけるような連中が性格いいわけないでしょうと、それはあなたにとっての性格がいいであって、しかもそれはあなたが群れの中にいたから感じただけでしょ?って

 群れの外にいる人間にとっては恐怖の対象でしかないわけで、中にいた人間が「ヤンキーは性格がいい」とか言ってもそれ全然説得力ないですから。これ、マジで。「ヤンキーに両義性がある」と言っても、中にいた人間にしか見えないような両義性に何か意味あります? あなたにとっては性格がいい存在であっても(しかもそれは幻想にしか過ぎないでしょうけど)、僕らにとっては(社会にとっては)性格が悪い存在ですから! とか、思っちゃうわけなんですよね。

 あなたに対してヤンキーが優しいからヤンキー批判を好きになれないってどういう理屈なんだよ! とか、最後の怒りを言語化して終わります。