テレビの光は全てアニメ

SF好きでミステリ好きですけど、そんなことは関係なしにアニメの感想を書いていくような感じのブログ

我々と艦娘と実在の軍艦の差異

 前々から気になっていたソーシャルゲーム艦隊これくしょん、所謂艦これを始めてみた。どうやらプレイヤ人数が多すぎて、サーバー開放日の新着順でしか始められないようで、かなり人気のゲームであることが伺える。

 なんといってもこのゲームの最大の特徴は、実在した戦前戦中の日本の軍艦を、最近流行りの萌え系イラストにし、それを実際に編隊して艦隊にしてしまうというところにあるだろう。なんとも恐れ入るな発想だが、これが普段からネットに常駐しているオタクユーザーの心を鷲掴み。あれよあれよとオタク人口に膾炙していった。

 そんな艦これを昨日初めて触ったのだが、実に魅力的な要素であふれているが、やはり目に入ってくるのはその美しいイラストだ。そして、実際に声を出して提督(つまり自分)に声をかけてきてくれるのだ! この感動、文字に表したら意味が不明だが、多くのソーシャルゲーム(僕が愛してたまらないアイドルマスターシンデレラガールズも残念ながらそうだが)は一部のレアな子たちにしか声が当てられてないのだ!

 しかし艦これでは、そんな僕の絶望を吹き飛ばしてくれる素晴らしいシステムを搭載している! 有名声優の方々が実際に、すべての軍艦に声をあてているのだ! 感動! これほどまでに感動したことなどゲームであろうか。

 だが、ふと考えてみると、あるおかしな違和感に気がついた。軍艦を艦娘たちにするということは、つまり軍艦そのものに意思を与えることだ(意思があることは艦娘たちの発言を読めば自ずと分かることである)。

 しかし彼女たちは軍艦である。軍艦でありながら意思が存在するというこの矛盾されたように思われるような個体を、艦娘と呼ぶ。

 彼女と我々の違いとは一体何であろうか。意思があり、人を愛し、喜怒哀楽をベースとした感情もあり、故に頭脳もあり、体も人間のそれをしている。これほどまで我々と一致している彼女たちとの、圧倒的な差はなにか。区分しているものはなにか。

 運命である。

 彼女たちが、軍艦として生まれ、そして戦い、傷つくことを覚悟せねばならぬ運命こそが、我々と彼女らを区別し、隔てている。彼女たちは我々にもなれないし、我々も彼女たちになれない。

 この壮絶な運命は、実在の軍艦も当然、同じである。しかし、彼女たちは軍艦とも違うのだ。前述しているように、彼女たちには意思がある。意思があるということはどういうことだろうか。言うまでもなく、彼女たちは彼女たちであることを運命づけられているということを受け入れているのだ。

 艦娘であるがゆえに、彼女たちは戦い、傷つき、相手を倒さねばならない。そして、それを受け入れねばならない。想像を絶する覚悟が彼女たちにはある。

 つまり、運命を受け入れているからこそ、彼女たちは実在の軍艦よりも更に過酷な運命を背負っているのだ。予め運命が決まっている者が意思を持つということの凄惨さを、艦これは描いているのかもしれない